書かなくともそれはたしかに存在している たとえば 少年航空兵の片目をかくした眼帯のうらがわに たとえば 刑務所で知り合ったSの腕の薔薇色の傷口に たとえば マドリードから来た船乗りFの蝶の刺青のまわりに たとえば 自動車修理工のMの灼けた背中のシャツの白地に たとえば 寿司屋の板前の指の血のにじんだ包帯の上に たとえば 警察学校の寄宿舎の便所に落書きされたむらさきいろの男根の横に たとえば 泳ぎつかれて眠るプールサイドの運転手の息づくブリーフに たとえば 花粉の匂いにまみれた中学生の自慰のてのひらの上に 「にんげんは約束をする唯一の生物である」と、詩人は書いた おとうとよ ぼくはそのことばを反芻しているとだんだんわかってくるのだ 書かなくともそれはたしかに存在しているのだ、ということが