> > 自分と言うのは変わりえぬものとしての、認識する主体のことをいう > > 昨日の自分と今の自分は同じ主体ではないがまた時間を共有する同じ主体であるとも言える > > 私が言っているのは主体の一回性を強調したニヒリズムの前段階ではなく、非同一的なるものの擁護であり > > 暴力的な弁証法的同一性に提言するものだ > それが考えを押し付けるなと言うことかよ? > 非同一的なるものが秩序付けられて同一的なる者に反抗する為には他者の啓蒙が必要なんじゃないのかよ? > 啓蒙あるいは非社会的な孤立による自己擁護は単に社会の無秩序をもたらすだけでそれがお前に代表される今の日本の姿なんじゃないのかよ? 他者を理解しようとする試みは形而上に回収されざるを得ない 語りえぬものを強調し自己を全体の模倣とする上である主体とは何だ 人の生は一回的な無限であると言う覚悟を持ちつつ生きろといっている 参考:2001/07/01(日)13時37分22秒