いずれ、歳をとれば、書物を読もうとしても、老眼になって、眼が疲れて、読みた い、という意欲がなくなるから。いま、できることを (いましか、できないこと を)、よそ見しないで、いま、やってください。道元禅師は、よそ見しないで専念 することを、「只管 (しかん)」というふうに--たとえば、「只管打坐」というふ うに--、おっしゃいました。