2005/02/08 (火) 16:24:56        [mirai]
はじめまして。〒マークの日に因んだご参考です。私のサイトに、明治17年、浅草の貧しい足袋屋に生まれ、
一時は郵便集配の仕事に従事、大正3年、神田で仕立物の製造卸を創業、関東大震災で被災、戦争で廃業した
祖父の自伝(抄録)があります。集配人時代の記述を抜粋しますと「身元保証人の資格は国税三十円以上の
納税者だったが、ある人の厚意で保証人を立てられ、五月に試用された。試用初日は草鞋の履き方を教えられ、
鞄を抱えポストから郵便物を集める仕事で、両国郵便局の収集区六区を、一日五、六回、一回につき五十分、
十七から二十五のポストをまわり、遅れると厳罰だった。一月ほどで三等集配人を命じられ、日給三十銭の
辞令。集配人の勤務時間は八時出勤、夕方まで勤務、三日目に宿直。宿直には弁当代として六銭支給(局で
食べる弁当は五銭五厘)、事故や欠勤のない月は勤勉賞与として日給の五、六日分支給。代番での稼ぎを
含めると一ヶ月十三円位の稼ぎ。当時の物価は理髪十ニ銭、湯銭三銭、花王石鹸六銭、安うどん二銭、
草鞋三銭、襤褸で作った草鞋六銭。集配は襤褸で作った草鞋を使い、晴天なら十日ほど持った。・・・・・・」
などです。無聊の折にお立ち寄りいただければ幸いです。
http://www02.so-net.ne.jp/~reverie/nagauta5.html