> 2001/09/05 (水) 22:52:20 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > 見向きされることそれ自体が恥を内包しているとすれば見向きという集合を
> > 指向する場合において恥が恥として彼に認識されうるか、あるいは恥が恥に
> > なりうるかという点について議論の余地があるところではないかと思います
> おっと恥という言葉が曖昧すぎたかもな。
> 見向きされること自体が"恥ずかしい"のであればそれを克服しないことには見
> 向きされない、だから「恥が必要」よりも「恥を克服することが目立つのには
> 必要」とするべきだったのかもしれないな
> そもそも恥が恥になりうるかつー以前の問題なのではないだろうかなぁ、人前
> で目立つことが恥ずかしいままではどう考えても目立てないしな
> って、微妙な矛盾が見て取れるな、くそうくそう(;´Д`)y-~~
まず目立つということの構造を考えてみれば有価値的なる「他者の評価」と
反価値的なる「恥」がある。この対立は目立つということが他者の視点を要
求する以上必然に存在するものである。あなたの言う目立つは前者の有価値
的なる部分のみを要求するものであり、すなわち目立つことに関する提言で
はなく評価されることを主眼に置いているわけであるが、一般に目立つとは、
お笑い芸人がそうであるように評価と恥を内包し両者を求めているわけであ
るのでむしろ恥の定義を明確にするよりも目立つというものの構造をみつめ
てこそ有意義な主張ができるのではないだろうかと思う次第なのであります
参考:2001/09/05(水)22時39分07秒