>  2001/09/06 (木) 05:29:44        [mirai]
> > 文字以前の物語がなぜ物語として成立し、口伝され得たかということを考えれば常識だと思うけど。
> > 例えばヤマトタケルの話なんかを文字すらもたず自然を汎神論的に畏れた古代人が
> > 全くのオリジナルで作り上げたという方が非常識的だし、神話がメタファーである
> > というのは民俗/族学、言語学の分野ではすでに常識になってると思うんだけど・・・
> メタファーの面があるのは当然だよ。それを史実の反映として何にでもあてはめるのがおかしいってこと。
> 記紀なんかの場合は、王権の正当性を、その時点での「現在」にとって説得力を持たせるために編まれて
> いるという、極めて政治性が強いものなんだから、
> 同じように「神話」とひとくくりにされてても、文字以前の口承と同じレベルで考えちゃダメだろ。
> だいたい、記紀の神話は必ずしも口承性の強いものばかりじゃないし、
> ヤマトタケルの話なんて、明らかに文字を得てからの話しだと思うし、新しい部類のもんでしょ。

いや、別に完全にヤマトタケルの物語が以前から存在したとは言っているわけじゃなくて
ヤマトタケルの物語が完成した下地にあるものが歴史的であり風土的であるわけで、
その様々な物語がヤマトタケルというものに象徴されてあの物語として完成した
と考えるのが通常だし、日本各地に対する遠征や、ヤマタノオロチ退治といった大枠
で捉えた場合、その抽象性から歴史、民俗、風習、風土、言語等を類推するという
態度はすでに学問的に一般的な姿勢だし正しいんじゃないですか?といいたかったわけで、
あなたが古代人はそんなものを寄せ付けずに全く独自に物語を編める独創性が備わってたと主張したり、
あるいはあらたに組まれた物語からは原初は全く類推することは不可能だというのであれば
それは別になるのでしょうが、そうなってくると話は違う方向に対して向かうわけなんですが、
その辺はどうでしょうか?

参考:2001/09/06(木)05時17分57秒