> 2001/09/06 (木) 05:43:03 ◆ ▼ ◇ [mirai]> いや、別に完全にヤマトタケルの物語が以前から存在したとは言っているわけじゃなくて
> ヤマトタケルの物語が完成した下地にあるものが歴史的であり風土的であるわけで、
> その様々な物語がヤマトタケルというものに象徴されてあの物語として完成した
> と考えるのが通常だし、日本各地に対する遠征や、ヤマタノオロチ退治といった大枠
> で捉えた場合、その抽象性から歴史、民俗、風習、風土、言語等を類推するという
> 態度はすでに学問的に一般的な姿勢だし正しいんじゃないですか?といいたかったわけで、
> あなたが古代人はそんなものを寄せ付けずに全く独自に物語を編める独創性が備わってたと主張したり、
> あるいはあらたに組まれた物語からは原初は全く類推することは不可能だというのであれば
> それは別になるのでしょうが、そうなってくると話は違う方向に対して向かうわけなんですが、
> その辺はどうでしょうか?
「物語が完成した下地」とかいう言い方をされると、そうでしょうね、とは言うしかない。
文献内の世界観を無視した素朴な反映論、と言う言葉を使って批判していた漏れとしては
そこまで問題を広げられると少々戸惑うんですけど。
それに貴殿の言っていることは神話の成立を探る、いわゆる成立・形成論ではあっても、
語られている神話その物の意味を読み解いていく文脈論とは次元の違う話だと思うのだがな。
ヲロチ退治の話にしても、似たような話型なんかを参考にしたり、蛇についての信仰を参考に
したりして原伝承としての形態を探っていくことは、それはそれで意味あることだけど、
そこから導き出した物を、古事記という一貫した世界観を持った文献内部の読みにそのまま
あてはめるのは危険なわけでしょ?オレがいっているのはそういうこと。
参考:2001/09/06(木)05時29分44秒