2001/10/31 (水) 21:19:15 ◆ ▼ ◇ [mirai]「石川は天使である」
こう定義するとき、そこに構造が立ち現れることは言うまでもない。
石川の存在は象徴秩序における王や神のそれとして現前し、
閉じられた有限の社会(モー族)を吊り支える。
構造内部の価値体系がその外部と一切の因果性を持ち得ないことは
自明であるから、その閉じられた社会について我々外部の人間が自らの
価値基準及び理性の一切を投入する愚は避けねばならない。
そこで石川がウンコをしないとしても、それは決して間違いではない。
より正確には、それを判断する資格を我々は持ち合わせない。
問題は、構造の外部 ― 我々の社会 ― だ。
資本主義社会において神に等値し得る唯一の存在は貨幣であり、
フェティッシュとしての商品である。仮に石川が完全なる商品として
この社会を流通するのなら、上の定義はやはり有効かもしれない。
小遣いで買ったビデオで500円分の石川をネタに自慰行為に耽る
少年にとって、その瞬間、石川には肛門もなければ排泄行為もない。
石川の人間種としての同一性は捨象され、それは純粋かつ去勢された
商品(=500円)として貨幣の海を渡って少年のもとへと送り届けられるのだ。
しかし残念ながら、その幸福な瞬間を一般化し、「石川はウンコしない」なる
テーゼを帰結するにはあまりに皮肉な逆説が存在する。
石川は「人間として」売られているのだ。ああ、この救われぬ矛盾!!
人間性は商品としての石川に必要不可欠な価値であるが、しかしそのことは
石川を完全な商品足ることから遠ざける。人間にのみ許された
主体(コギト)としての自立性は、「石川」という商品の周囲に常に
抱えきれぬ剰余を漂わせている。そして、その剰余において石川は、
不幸にも、そしてやはり、ウンコをしてしまうのだ・・・。
結論) 石川はウンコをしない