2001/11/29 (木) 09:31:48        [mirai]
天正3年(1575)3月、安芸郡左喜浜の大野源内を総大将
                        にした反乱が起こったのじゃが、このとき元親は、左喜浜
                        の者は、犬まで逃さず切り捨てることを厳命したのじゃ。
                        子女をはじめ犬、鶏に至るまですべてのものが斬り殺さ
                        れ、全滅したと伝えられておる。

                        このように反乱者には激しい対処を行う元親が、玄蕃切
                        腹後、波川一族を滅ぼすまでに2ヶ月をかけているのじ
                        ゃ。
                        またその後、謀反の仲間とした一条内政を天正9年
                        (1581)2月に、伊予国の紀親安を天正11年(1583)1月13
                        日にそれぞれ処罰(毒殺したとの説もある)・討死させておる。
                        玄蕃を含め3名を謀殺するのに2年10ヶ月も要しているの
                        じゃ。
                        これは実際に謀反があったとして、その対応の遅さが、元
                        親の性格からは考えにくいような気がするのじゃよ。


                        そうね、謀反があれば、すぐに、根こそぎその芽を摘んで
                        しまいたいと考えるのが普通よね。