天正3年(1575)3月、安芸郡左喜浜の大野源内を総大将
にした反乱が起こったのじゃが、このとき元親は、左喜浜
の者は、犬まで逃さず切り捨てることを厳命したのじゃ。
子女をはじめ犬、鶏に至るまですべてのものが斬り殺さ
れ、全滅したと伝えられておる。
このように反乱者には激しい対処を行う元親が、玄蕃切
腹後、波川一族を滅ぼすまでに2ヶ月をかけているのじ
ゃ。
またその後、謀反の仲間とした一条内政を天正9年
(1581)2月に、伊予国の紀親安を天正11年(1583)1月13
日にそれぞれ処罰(毒殺したとの説もある)・討死させておる。
玄蕃を含め3名を謀殺するのに2年10ヶ月も要しているの
じゃ。
これは実際に謀反があったとして、その対応の遅さが、元
親の性格からは考えにくいような気がするのじゃよ。
そうね、謀反があれば、すぐに、根こそぎその芽を摘んで
しまいたいと考えるのが普通よね。