●率直でおおらかな男だった 2001/12/16 (日) 12:43:56        [mirai]
当時、私はドン・ブラッシンゲーム(ブレーザー)と親しくしていた。彼は野村
がプレイングマネジャーだった8年間、南海のヘッドコーチを務めた。事実
上、ムースはブレーザーにチームの指揮をほとんど任せていた。 私はブレ
ーザー(『Thinking Baseball』の著書もある)から、サッチーにまつわる恐ろし
い話を数え切れないほど聞いた。サッチーが現れるまで、野村は素晴らしい
男だったという。友好的で、率直で、おおらかだった。「仲間を大切にする男
だったよ!」 しかし72年を境に、ブレーザーはこんなふうに言っていた。「ム
ースは変わった。誰とでも距離を置き、皮肉屋になった。友人はみんな去っ
て行った」1970年代半ばの12月に、私はMLBウィンター・ミーティングでブ
レーザーと会い、野村宛ての伝言を預かった。日本に戻ってすぐ、私は野
村の家に電話をかけた。野村とブレーザーと3人で何度も同席したことがあ
り、私は自分が野村の友人だと思っていた。 電話に出たサッチーは私を厳
しく尋問した。伝言の内容を自分に教えろと言い張るので、私は仕方なく話
した。「わかりました。私が伝えておきます」彼女はそう言うと電話を切った。 
野村の最初の監督生活は、1977年9月に終わった。南海に解雇されたの
だ。当時はマスコミもほとんど触れなかったが、サッチーを含めて野球以外
の問題が原因で解雇されたことは、誰もが知っていた。 

http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=96140