> > 「おいら」と言う単語が「おい(俺)」の複数形を起源としている事からもわかるように > > 日本においては元来明確な自分と言うものは認識されない > > 自分とは絶えずその共同体の一員であり構成要素として自分がある > > 自分の認識や孤独とは神と個人的な契約によって世界を成立させている西洋的な考え方 > 日本語の人称代名詞は絶えず意味、内容共に変化し続けてるんで > それはあんまり関係ないよ。 > ここでの問題は他者の認識をどのような過程でするかだから。 > 共同体社会であろうが、個人は個人。他者の認識なしには成立しえない 個人を個人として認識するのは孤立した個人を知ってからの話し どこにも個人がいなければ他者なんてあり得ないじゃないか 参考:2000/12/16(土)06時08分01秒