2002/01/09 (水) 20:58:01 ◆ ▼ ◇ [mirai]4-1 島津氏の立場と真宗
そもそも、島津氏はなぜ真宗を禁止せねばならなかったのか。島津氏は代々、
曹洞宗と時宗を兼学していた*101。島津氏は確かに仏教を貴ぶ姿勢を持っては
いるが、島津氏にとって仏教は、曹洞宗・時宗を中心にしたものであった。曹洞禅
における厳しい戒と修行、熊野権現の神託によって成立した時宗の立場から見れ
ば、十方衆生(古今東西の全人類)が阿弥陀仏の本願の救済の対象であり肉食
妻帯の凡夫でも一生造悪の極重の悪人でも、弥陀の本願を聞信する一念で救わ
れるのだという浄土真宗は、堕落坊主の悪人製造教としか見えなかった*102であ
ろうし、「一向専念無量寿仏」(一心一向に弥陀に帰命)に徹し一切の諸神諸仏の
不拝を強調すること*103も、「偏執者」としか思えなかっただろう。
しかし島津氏が自ら仏教を信奉しようとしながら真宗を排斥した思想的な面での
最も大きなポイントは、神国思想であり、それをふまえた神儒仏三教一致思想であ
った。特に日新は、「日学」という三教融合の教を樹て、自らを「日新菩薩」と称した
ほどの人物であった*104。つまりは島津氏が仏教と認めていたものは、三教一致
を受け入れるものでなければならなかった*105。では真宗はどうであったか。浄土
真宗の根本聖典『教行信証』には、三重廃立が説かれている。そこで徹底的に神
祇不拝を説き*106、そのために一向宗とまで呼ばれた*107浄土真宗がこれに反
することは明らかである*108。これに対して島津氏は、真宗を仏教とは見なさな
い。日新の真宗への評価を見てみると、
諸所に一向宗起つて、父母を軽んじ、仏神に疎ずる者、人間の作法にあらず。
是等の徒党成敗に根を絶ち葉を枯さるる事、悪逆無道は天魔の所行、天下国
家を乱す。此の魔族を誅滅する政道は、身を忠孝に砕き、心を寺社に繋ぎて、
子孫長久の隠徳を積む人道ぞ。人の道あるや、木の本あるが如く、水の源あ
るが如し。本無くして末有る者、未だこれあらざるなり。其れ根は空劫に蟠
り、葉は今時に栄ふ。或は原泉は混々として昼夜を舎まず、本有る者、皆是
の如し。然るに、本を蔑にし、何ぞ後(子孫)あらんや。これに因つて、
神明仏陀を忘れ、父母先祖に背く輩に於て、禁制の辛かりし事、左に詳なり。
御詠、
魔のしよいか 天眼おがみ法華しう*109
一かふしうにすきの小さしき*110*111
「日新記ニ有之」
釋流數派之外、日域中古以降、有魔法之起帝都、而其流漸溢四方者、是以我
之領土亦入其門、而亡父母、疎神祇、行非禮者多矣、實是天魔所行、亂國家
之基也、人之有道也、猶木之有根水之有源、無其本而有其末者、未嘗之有
也、
然則蔑其本敬其末、惑世誣民、充塞仁義者、豈得有神靈之助乎、日新熟以
為、
為人君者、不可揚善人而不退悪黨、不如渠之黨徒盡斷根枯葉、而為國泰民安
子孫長久之計焉、且復綴一首和歌、以伸其大抵云、
魔のしょいかてんけんおかみ法華しう
一向しうにすきの小さしき*112