> 2002/05/02 (木) 01:54:15 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > 然り、少なくとも私はある。
> > だがそれが必ずしもコギトの起点としての、魂として想起される確固としたものではないだろう。
> > あるいは、片腕がなくなり耳が遠くなるといった知覚の減少によっても私の存在が変遷することからもわかるだろう。
> > なぜならば、先に述べたように脳はおそらく記憶に象徴される精神と外界を繋ぐ役割を負っているに過ぎないのだから、
> > 知覚が減少すれば記憶に象徴される精神との交信が減退し、表面に現れる「私」が自ずと違うものとなることからもわかる。
> 4行目は全く同意できないな
> 記憶に象徴される精神というならハードディスク等の記録は精神ですか?脳の記憶とはちと違うが
> あんまり関係ないが少なくとも記憶というのは脳の一番わかりやすい単純な機能であって
> みんなが一般的に魂とか精神とか呼んでるような機能はもっと別のものだと思うけどな
データ以外にもそれを処理や生成するプログラムに相当するものがあるな
ノイマン型だとプログラムもデータだから記憶として保存されるわけだが
人間はアナログだからコピーすると劣化するので精神は複製できんのです
参考:2002/05/02(木)01時46分37秒