> 2002/05/02 (木) 02:05:19 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > 然り、少なくとも私はある。
> > だがそれが必ずしもコギトの起点としての、魂として想起される確固としたものではないだろう。
> > あるいは、片腕がなくなり耳が遠くなるといった知覚の減少によっても私の存在が変遷することからもわかるだろう。
> > なぜならば、先に述べたように脳はおそらく記憶に象徴される精神と外界を繋ぐ役割を負っているに過ぎないのだから、
> > 知覚が減少すれば記憶に象徴される精神との交信が減退し、表面に現れる「私」が自ずと違うものとなることからもわかる。
> 4行目は全く同意できないな
> 記憶に象徴される精神というならハードディスク等の記録は精神ですか?脳の記憶とはちと違うが
> あんまり関係ないが少なくとも記憶というのは脳の一番わかりやすい単純な機能であって
> みんなが一般的に魂とか精神とか呼んでるような機能はもっと別のものだと思うけどな
ではまっさらなハードディスクを備えたPCには何が出来るかね?
完全に記憶の介在を許さないとすれば、それはつまりメモリ、キャッシュも否定するわけだが、さてこれで果たして?
さらに言えば、何回も言うようだが脳の機能とは精神と外界の交信であって
記憶は脳の重要な機能としてではないだろう。
先にも言ったとおり長くなるので説明は省略するが、記憶がなければ物の認識は可能だろうか?
円を円として認識するには、あるいは点と点を繋いで図形を描く時その連続性を認識するためには
多かれ少なかれ記憶というものがひつようなのじゃないか?
そして私たちの意思が外部に向かって働くとするのなら、その外部を認識するための
よりよい手段としての記憶があってこそ意思というものが生まれるのじゃないか?
参考:2002/05/02(木)01時46分37秒