> 2002/05/08 (水) 13:59:00 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > それはアナログ、デジタル、という言葉とはちょと違うぞ
> > その違いは脳と物理法則を見るときの視点の違いによるように思われる
> > 物理法則は漏れも決定論的だと思っていて初期条件が完全に分かれば
> > 任意時間後の状態が計算可能だと思っている
> > けど個々の時間を見ればある時間の状態は少し前の時間の状態に依存している
> > 過去から積み重ねられていくという点では貴殿の言う脳となんら変わりない
> > また、脳も計算可能だと思う、
> > 計算可能という言葉は予測可能という言葉で置き換えれば
> > 過去現在未来と言っていることの意味が分かりやすいかも
> > ここでいう予測可能というのは理論的にはという話で、
> > 実際はコンピュータで計算しようとしても宇宙が終わるまでに計算し終えないだろう
> > これは物理法則の方も同じ、n体問題なんか解けやしない
> > 今見ている脳は私の中だけにある脳であるはず、というのがよくわからんぞ
> > 物理法則の支配する世界の中に存在して、その一部の情報を脳で認知するんじゃないのか?
> つまり、物質においては現在は過去を含んではいないともいえる。
> 貴殿が物理法則的な時間を想起した場合、おそらく数直線的なものを描いたのではなかろうか?
> しかし物質における数直線的な「現在」は過去を含んではいない。
> あるいは過去を持っていない。
> 数直線的な時間はまさに断続的であり、デジタルであって瞬間を指しているに過ぎない。
> そこにある「現在」は法則的であり持続として現れる時間的必然性をもってはいないのだ。
> その瞬間のみに、現象のみで捉えられるものであり、「私」の主観にある時間が、
> 現在において過去を含んである、“流れる”時間とは異なるものだ。
> >今見ている脳は私の中だけにある脳であるはず、というのがよくわからんぞ
> これは、観念論と実在論という両論の併記のことだ。
> つまり、この世界は私が作り出した世界であり私だけのものであるのか、あるいは
> 私とはこの世界が作り出した物質に過ぎないのか。
> 少なくとも私の中では世界は私を中心として存在し、全ては私が作り出したものであろう。
> しかし、他者の存在を認めるとすれば、実在論的に世界は何物かの法則に従ってあるといえる。
> そして、他者の存在を認めるならばおそらく肉体は実在に位置するものだろう。
> この物質の観念的な認識と実在的な認識の折衷として、観念以上ではあるが実在以下である物の見方をイマージュとしよう。
> そこで先の脳に対する疑問が出てくる。
> 我々の意識とは単に外部からの脳への刺激に対した分子運動に過ぎないのだろうか?
> 我々の神経組織とそれに付随する運動はもともと一部の物質のイマージュに過ぎないのに
> 私は物質界全体を知覚しているというのに。
> 貴殿の言い分は、脳の内部運動に物質界全体の知覚という脳内運動を遥かに超えるイマージュを仮定し、
> しかもそこから私たちの脳に直接影響を与える知覚を倒錯的に成立させようとしているのではないのか?
> にわとりが先なのか、それともたまごが先なのか?
玉子ご飯
参考:2002/05/02(木)06時59分08秒