> 2002/05/24 (金) 05:28:32 ◆ ▼ ◇ [mirai]> いとをかし
洛の貞室、須磨の浦の月見にゆきて、
松かげや月は三五夜中納言
と云けん、狂夫のむかしもなつかしきまゝに、此秋かしまの山の月見んと思ひ立つ
ことあり。伴ふ人ふたり、浪客の士ひとり、一人は水雲の僧。々はからすのごとく
なる墨の衣に、三衣の袋を衿に打かけ、出山の尊像を厨子にあがめ入てうしろにせ
おひ、柱杖引ならして無門の関もさはるものなく、あめつちに独歩して出ぬ。今ひ
とりは僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの鳥なき島にもわた
りぬべく、門より舟にのりて行徳と云処に至る。舟をあがれば、馬にものらず細脛
のちからをためさんと、かちよりぞゆく。甲斐国より或人のえさせたるひの木もて
つくれる笠を、おの/\いたゞきよそひて、やはたと云里を過れば、かまかいが原
と云ひろき野あり。秦甸の一千里とかや、目もはるかに見わたさるゝ。筑波山むか
ふに高く、二峰並び立り。かの唐土に双剣のみねありと聞えしは、廬山の一隅な
り。
雪は申さずまづむらさきのつくば哉
と詠しは、我門人嵐雪が句なり。すべて此山は日本武尊のことばをつたへて、連歌
する人のはじめにも名付たり。和歌なくば有べからず、句なくば過べからず。まこ
とに愛すべき山のすがたなりけらし。萩は錦を地にしけらんやうにて、為仲が長櫃
に折入て、都のつとに持せたるも、風流にくからず。きちかう女郎花かるかや尾花
みだれあひて、小男鹿のつまこひわたる、いとあはれ也。野の駒処えがほにむれあ
りく、又あはれ也。日既に暮かゝるほどに、利根川のほとりふさと言処につく。此
川にて鮭のあじろと云ものをたくみて、武江の市にひさぐものあり。宵のほど、漁
家に入てやすらふ。よるのやどなまぐさし。月くまなくはれけるまゝに、夜ふねさ
し下して、鹿島に至る。ひるより雨しきりに降て、月見るべくもあらず。麓に根本
寺のさきの和尚、今は世をのがれて、此処におはしけると云を聞て、尋ね入て臥
ぬ。すこぶる人をして深省を発せしむと吟じけん、しばらく清浄の心をうるに似た
り。暁の空いさゝかはれ間ありけるを、和尚おこし驚し侍れば、人/゛\起出ぬ。
月の光、雨の音、只あはれなるけしきのみむねにみちて、いふべきことの葉もな
し。はる/゛\と月見に来たるかひなきこそ、ほいなきわざなれ。かの何がしの女
すら、時鳥の歌えよまで帰りわづらひしも、我ためにはよき荷担の人ならんかし。
参考:2002/05/24(金)05時24分52秒