大正11年9月28日には島津忠義公爵の孫娘久邇宮良子(ながこ)女王と結婚。こ の時、山県有朋が婚約破棄を迫り怪文書が乱れ飛ぶ「宮中某重大事件」が起こ りますが、親王は「良子でなければ駄目だ」と明言、宮内庁も東宮妃は変更し ないという声明を発表してケリが付くという一幕もありました。なお当の山県 はこの結婚式を見る前、同年2月に死去しています。