水滸伝はどうなんだ、と聞かれると、 「若いころに読んでいたら、最初の1、2冊できっと放り出していた」と答えるほかない。 荒唐無稽、牽強付会、我田引水、唯我独尊、支離滅裂のご都合主義が目立ち、 論理的矛盾がある記述・文章にやや神経質なところがあった青年時代の私には、 とても我慢できなかったに違いない。 古めかしい慣用句や、原文は四六駢儷体であるらしい美文調の歌が頻繁に出てくるのも煩わしい。 それを辛抱して読み続けているのは、なにがなんでも代理堂のネタにして 時間とお金の元を取りたいという焦り、それにもうひとつ、自分が年齢を重ねて、 荒唐無稽や支離滅裂に少し寛容になったからかも知れない。 べつに荒唐無稽でも支離滅裂でもいいじゃないか、という捨て鉢な態度で読み進むと、 登場人物が可愛く見えてきたり、その荒っぽい筋の展開に、 人生の真理が横たわっているように思えたり、紋切り型美文の繰り返しも、 様式美といえば様式美。まあ、それくらいじゃないと、古典として生き残れないわな、 と優しい気持ちになるのだった。