2002/07/11 (木) 13:15:23        [mirai]
人は日記型と手紙型に分類できるかもしれない。
その人が書く文章が、日記タイプか手紙タイプかという分け方、
さらにいえば、その人が文章を書く習慣をつけ、技術を磨く場が、
日記であったのか、手紙であったのかという相違である。
もちろん、その両方を兼備した人もあろうし、両方が欠如している人もあろう。
日記が、自らに語りかけ、自らを問うことで、
内省的な人格を形成するとすれば、手紙は、他者を常に意識し、
その反応を期待する外向的な人柄を育てる。
あるいは逆に、人格、人柄が先にあって、人は日記に向かい、
手紙に向かうという見方もできよう。
まあとにかく、その2つの型があるとしよう。
ZiMの場合は、明らかに手紙型である。
日記は、小学生のとき、夏休みの宿題で、
うそっぽい絵日記をつけさせられた以外、書いた覚えがない。
特に文学的才能があるわけでもない人間が、
曲がりなりにも30年以上、ものを書く仕事を続けてこられたのは、
手紙を書く癖のおかげである。
しかも、記者という職業は、日記型より手紙型に向いているのだ。
手紙の中でも、私が書いたのは、もっぱらラブレターである。
ある時期、来る日も来る日も、ラブレターを書いた。
「あんたなんか、私のこと、なんにも知らないくせに」と言われたのが
きっかけで、相手の挙動、発言の意味するところを考え抜き、
自分なりに解釈して、毎日送りつけていた。
返事が1通も来なかったので、ある日、本人に直接、
「どうだった?」と尋ねたところ、
「あんたなんか、異常心理学でもやればいいわ」で、おしまい。
「よくそこまで私のことが理解できたわね」と、
褒めてもらおうと思っていた私は、呆然。
その後も、相手から手紙は全く来ず、完全な一方通行で、
厳密にはラブレターとはいえないかもしれない。
恋を失ったというより、恋ですらなかったのだろう。
しかし、これが、記者という生涯の生業の基礎になったのだから、
人生は何が役に立つかわからない。