2002/07/11 (木) 23:44:38        [mirai]
 そして1985年、『機動戦士Ζガンダム』において彼は、ガルバルディβ、ハンブ
ラビ、リックディアス及び、モデラーでもある彼が、自分でプラモを改造して誕生
したシュツルムディアス、そしてかの『曲線の女帝』キュベレイ等をデザインし、
正式採用となる。他にも初期設定としてΖガンダム、ガンダムmk2、そして本編には
未登場の百一式なるZガンダムや、 「エプシィガンダム」というMSもデザインして
いる(これは当初ガンダムmk3としてデザインされたもので、冨野監督のコンセプト
では試作競合機という位置付けであった。それを永野氏と小田雅弘氏が再デザイン
し、エプシィと改名。しかし結局日の目を見る事はなかった)。
 Ζでは永野氏はゲストメカニカルデザイナーであり、次作ΖΖでは再びメインメ
カニカルデザイナーに任命され、その成果が期待されていたのだが…
 ΖΖは、言わば「あまりに息苦しかった」前作を踏まえ、従来より年少の世代を
ターゲットとして企画されていた作品であった。そこへ来て、永野氏がデザインし
た主役MS「ホワイトガンダム」はまさしく永野護らしいガンダムであり、問題はな
かったのだが、この時完成したハンマ・ハンマやガルスJといった敵方のMSデザイン
があまりに奇抜……つまり「売れセン」ではなかったため、スポンサー側の提案に
よって彼はΖΖのデザインから降ろされてしまう。ΖΖのデザインシートから永野
氏の手によるデザインはほぼ一掃されてしまい、かろうじて生き残った稿はなんと
「巡洋艦エンドラ」だけというありさまだった。数々の自信作がこのような形で没
になったとき、氏の心中はいかなるものだっただろうか。
 この後1987年『逆襲のシャア』制作時においても、永野氏とスポンサーとの間に
衝突が起きる。この時期完全に制作側との協調性を欠いていた彼は、クライアント
の要求するデザインに対して、自分の主張するデザインをあくまで譲らなかったの
である。結果彼は再びメインメカニカルデザイナーの座を追われ、用意されていた
アムロ専用MS「HI-Sガンダム」と、シャア専用MS「ナイチンゲール」のデザインは
又しても幻と消えてしまった(今知られているHIνとナイチンゲールのデザインで
はないようだ。ナイチンゲールは、1998年ニュータイプ6月号の別冊付録「まるごと
富野」に永野氏が寄せたイラストに「ナイチンゲール・ジオン」の名で頭部まわり
だけが登場したのみ。聞くところによると、HI-Sガンダムは本人をして傑作と言わ
しめる程の出来だったらしい……が、未だどのメディアでも発表された事のない、
筋金入りの《幻のMS》である)。
 この降板事件を機に、永野護はアニメ業界から決別。サンライズを退社し、以後
《FSSを手掛けるデザイナー》として独り立ちすることとなる。