>  2002/07/28 (日) 07:03:03        [mirai]
> > 君知ってるか?映画版の最終回は一つの最終回であってテレビ版の最終回とは違うのだよ
> それならわざわざ先行放送などとは言わないのではなかろうか

■ 02.06.20 【ピコチェキコラム】
 
■劇場版がなぜ最終話なのか
 あくまで推測っていうかググガガタン的な解釈なんで、あまり真に受けずに読み
飛ばして下さい。
 
 龍騎の劇場版は既に制作発表などでも明らかになっている通り、「仮面ライダー
龍騎 EPISODE FINAL」、つまり描かれるのは物語の最後にあたる部分。では、物
語の中盤にあたる時期に、なぜ最終話に相当するストーリーを見せる必要があるか
というと、可能性として考えられることがひとつあります。
 ポイントは2つあって、ひとつは、龍騎の設定が「バトルロイヤル」であり、そ
こから脱落することは=死を意味する点。これを1年間通してやっていくと、当然
人気のあるライダーですら次々命を落とすことになるので、視聴者に相当重い印象
を与えます。今のところシザース、ガイと、悪人&愉快犯が死んでるためにイメー
ジ的なショックはあまりありませんが、これがライアやゾルダの場合は、また話が
別ではないかと。
 そして、ストーリー上このままいけばそうなってしまいます。しかし、この「こ
のままいけば」というのがもうひとつのポイントで、鍵を握っているのがライアの
「運命を変えるために戦う」「龍騎なら運命を変えられるかもしれない」という台
詞。
 どういうことかというと、登場人物が限られている内に、劇場版でこのままいっ
た場合の最終話に「相当する」話を見せてしまい、テレビ版は逆に「そうなるはず
だった結末を龍騎が変えていく」という変化をつければ、最悪の結果を知っている
だけに、非常に希望あふれる展開になるんじゃないでしょうか?
 つまり、劇場版では本当に龍騎以外は全て死ぬ凄惨な結果を見せ、テレビ版では
そうならない、龍騎が変えていく新しい未来をじっくり見せていくことで、通年の
番組から重さを取り払い、そして劇場版はセンセーショナルに。しかも劇場版で死
んでも「まぁ劇場版だから」という言い訳がききますから、ファンの方々の精神的
な逃げ道もあるというものです。
 本来の運命であれば、神崎士郎の敷いたレールの上を歩き、お互いが潰し合うこ
とを余儀なくされるライダーたちですが、その運命に逆らい、自分の力で切り開
く、つまり本当に戦うべき相手はライダーではなく「運命と」であれば、子供に対
するメッセージとしてもポジティブですよね。
 そういう意味でも、あくまで希望的観測ですが、ガッツリみんな死ぬ劇場版とそ
うならないテレビ版、という住み分けがステキなのではないかと思うし、そうであ
るならば、敢えて先に最後を見せる意味があるような気がします。あ、思いつきな
んで違っても怒らないでね。 

参考:2002/07/28(日)06時59分43秒