> 2001/01/30 (火) 04:20:52 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > 失礼ながらナウシカとドストエフスキーの関連性が思い浮かびません。
> > よろしければお教え願えませんでしょうか?
> よわったな。まだ寝れないね。「カラマーゾフの兄弟」はドフトエフスキーの死によって
> 未刊のままになったが、もし書き継ぐ事ができたとしたら、アリョウシャは修羅
> の道をも踏まえた上で全てを肯定する話になったと想う。
> 宮崎はまさにそのドフトエフスキーも他の誰も書ききれなかったところを書いたと想う。
ナウシカはニヒリズムの克服として浄化装置(浄化された世界)としての腐界を拒否したのではないと思います。
ナウシカには神というモノが規定されていず、また挫折も味わっていないでしょう。
彼の本質は現実に生きた人間と、元来は共存としてあった自然との普遍的な対立構造にあります。
ナウシカの、敵対者としての腐界の受容は、もののけ姫と同じく自然の克服の否定と克服せねば生きていけない人間の矛盾にこそあるのです。
それはトトロでの失われた受容者としての自然の描写にも表れています。
参考:2001/01/30(火)04時14分21秒