さて、北朝鮮帰国者の運命を書いた記事を読み返してみると、 事実を誤ってはいけない、論理を踏み外してはいけないという緊張感が、 ひしひしと伝わってくる。これを「硬質な文章」というのだろうか。 エピソードもまた、情緒的な表現や過剰な修飾を避け、淡々と物語られている。 しかし、最後のところで、泣けた。自分が書いた文章に泣けるのは、 つくづく幸せ者、あるいはただのおめでたい人間か。