>  2002/10/29 (火) 00:13:03        [mirai]
> > 拘置所側も、動揺を抑えるため、仙台送りでない死刑囚も、この時間帯に呼び出し、教悔師ら宗教人や教育
> > 部長、管理部長が面接する。死に対する心構えを説き、精神を安定させるのが狙いだが、呼び出しが、必ずし
> > も、仙台送りでないことを示す、カムフラ-ジュでもある。それでも死刑囚にとっては、恐怖の時間帯である
> > ことに変わりはない。
> >  本番のとき、同じように教悔師の面接だといって呼び出しても、彼らは、不思議に、今日が仙台送りの日だ
> > と感知する。 呼び出す側の職員の方が、仙台送りだということを知っているので、声が微妙に変わるからら
> > しい。その声で、彼らの方も覚悟して、周りの房に別れの挨拶をする。
> >  「お先に参ります」
> >  「お世話になりました」
> >  世の中で、これほど返事のしようのない挨拶があるだろうか。田中たちも、こういうのが精いっぱいだ。
> >  「さようなら」
> >  この”恐怖の九時”が過ぎると、運動に行く者、面会に行く者、入浴に行く者と、舎房の朝が動き出す。彼
> > らは、この時、今日一日だけは、確実に生命を長らえたことを実感する。けれども、また明日が彼らを待って
> >  いる。
> >    「また、明日があるさ」は彼らには禁句なのだ。
> 昔哲学関係の講義でならったが、確か日本で二本で死刑が告げられるのは
> 週一で金曜日だけだったような気がする。

二本って事は首と同時に亀頭も吊られるのか

参考:2002/10/29(火)00時11分16秒