2002/11/01 (金) 01:07:50 ◆ ▼ ◇ [mirai]20歳代後半より上で野球好きの人なら藤沢投手を知っている方も多いでしょう。
物議をかもしだしてドラフト1位で中日入り。
1979(昭和54)年いきなり13勝5敗で新人王を獲得するも、
2年目は1勝15敗、それ以降4勝、4勝、3勝、2勝で輝きを取り戻せず、
引退してしまった男である。
ご存知の方は少ないかもしれないが、藤沢は至上最多の5回目のドラフト指名で
やっとプロ入りしたツワモノである。ドラフト拒否と言えば、
1969(昭和44)年に大洋入団後、即トレードでヤクルト入りした荒川、
1978(昭和53)年に阪神に入団後、巨人小林とトレードされた江川
(彼ですら3回目のドラフトで入団している)などが有名であるが、
拒否回数では藤沢はその上をいく。
八幡浜高校卒業時にロッテから、社会人の日鉱佐賀関2年目にヤクルト、
3年目に近鉄、6年目に日本ハムから指名を受けるが全て拒否。
「巨人に入りたい」という大物選手らとは異なり、自信がないなどの理由で断り続けてきた。
1977(昭和52)年の中日の1位指名でついにプロ入り。翌年の交渉期間ギリギリの契約であったため、
さらに1年棒に振り、ここに28歳のルーキーが誕生した。
パームボールを武器に変則的なホームで次々に勝ち星を積み重ねていった藤沢。
速球王小松とともに中日の新しい時代の幕開けを感じさせてくれた彼は、
いまでも非常に印象に残る投手であったことに変わりはない