2003/01/03 (金) 23:47:59        [mirai]
「1871年(明治4年)、政府は「解放令」を出しました。しかし、その後の
資本主義の発展の中で、部落の人々はこれまで皮革業などの仕事を大企業の進出
によって圧迫され、しかもそれにかわる他の仕事に就くのが難しく、その生活は
いっそう苦しくなりました。やむなく、日雇い、臨時工などの不安定な条件の
悪い仕事で生活を支えました。このような貧困な状態が、人々の差別意識を
いっそう強めることになりました。
こうしたなかで、明治の末から大正の初めにかけて、部落の人々の自覚に基づく
生活改善運動も高まりましたが、やがて自分たちの団結の力により、差別撤廃を
めざす運動へと発展していきました。1922(大正11年)3月3日、京都の
岡崎公会堂には、全国各地の部落代表が3000人も集まり、部落解放を自分
たちの手で実現することを決議し、全国水平社を結成しました。このときの
創立宣言でっは、「今人間を尊敬することによって、自らを解放しようとする
運動を起こすようになったのは必然のことです。人の世に熱あれ、人間に光り
あれ」(一部要約)と述べています。やがて、水平社運動は、全国各地に広まり
ました。」

「私の好きな みつるさんは
おじいさんから、おみせをもらい
二人いっしょに暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
おみせをゆずらないと 言われたの

私は彼の幸せのため
身を引こうと 思っています
二人いっしょになれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべてをあげたこと
くやんではいない 別れても

もしも差別が なかったら
好きな人と お店がもてた
部落に生まれた そのことの
どこが悪い なにがちがう
暗い手紙になりました
だけど私は 書きたかった
だけども 私は 書きたかった」

「”道がある その道がせまくなったところに、部落がある”」

「未解放部落は全国に6000を数える。もっとも多いのは瀬戸内海をとりまく近畿、中国、四国および瀬戸内海をとりまく北九州地方であろうが、中部、関東は
いうにおよばず、南九州や東北地方においても部落は厳然と存在している。
都市部落:京都市東三条部落。
農村部落:大津市坂本部落。
山村部落:和歌山県本宮町苔部落。」