> 2003/01/07 (火) 19:21:28 ◆ ▼ ◇ [mirai]> 貴殿ら怪文書書いてみろよ
「取り戻すべきもの」
昨年私たちは二つの出来事によって敗戦以来の得難い体験をすることが出来た。そ
れは自らが属する国家、民族への覚醒である。それをもたらしたものは、一つは世界
中が熱狂したサッカーのワールドカップの日本での開催。そしてさらに、北朝鮮とい
う邪悪でグロテスクな隣国による百人にも及ぼうという同胞の拉致と殺戮の露呈であ
る。
野球などという冗漫でいろいろ道具も要る、それ故に限られた僅かな国でしか行わ
れていない競技と違って、荒野や砂浜でただ球を蹴って飛ばすだけでもすむ、足の使
用という人間のおざなりにされていた本能を覚醒させ興奮を与えるサッカーは、眺め
る側も目が離せず緊張と興奮を強いられる。
あの国際試合の中で我々が味わわされたものは、日頃我々が意識無意識に抱えてい
た国家と民族に対するものの激しい噴出によるエクスタシーといえるだろう。そして
あの得もいえぬ高ぶりの快感を、誰もどう否定も出来はしまい。
国家(ネーション)なる言葉の語源は古代イタリア語のナチオで、ナチオとは、か
つてローマ帝国繁栄の中で広大なローマの領土のあちこちから選ばれてボローニャ大
学に学んでいた地方出の学生たちが、仲間だけで集まる時には、共通のラテン語を外
してそれぞれの故郷の言葉で語り合い、それによって初めて蘇生する自らの民族の伝
統風習を確認しあったいわば県人会ともいえる組織の呼称だった。いかに強大なロー
マ帝国といえども、その強い統治の元ででも各々の民族の個性を淘汰均一化はできは
しなかったに違いない。
北朝鮮による拉致事件の露呈も、多くの同胞が彼等の手によって晒された無慈悲な
運命の痛ましさへの、同情を超えた強い共感として私たちに、ワールドカップが与え
たと等質のものを覚醒させてくれた。それは、ある物事が、他人ごとながらもはや決
して他人ごとでは済まされぬという認識、というよりも共感である。その根底にある
ものは、自らが属する国家と民族にあの人たちも属しているのだという、もはや図式
としてではなしにそれを超えた、いうにいえぬ強い連帯感である。それを培っていた
ものはナチオの由縁が証すように、我々が長い間共有してきた文化が醸し出し与えて
くれた共通の情念に他ならない。
北朝鮮によって悲運に晒され、かろうじて取り戻された同胞のその後の様子を眺め
て私が強く感じたことは、彼等が彼の地で受けた激しい洗脳の迷妄から速くも目覚め
人間としての当然の判断を取り戻せたのは、これを遅まきながら扱いだした政府の誰
のおかげなどではなく、あくまで彼等を温かく迎えた故郷の人々、なかんずく家族の
おかげに他ならない。
特に私は、帰国した五人の家族のスポークスマンのような地位にある蓮池さん夫婦
の兄、蓮池透さんの存在に強い印象を受けている。帰国した彼等の残してきた子供た
ちがどうなるのかを芯に据えた彼等の今後の命運を決めるキーマンは、きわめて冷静
妥当な言動で総理やそれを操ろうとしていた外務省を逆にリードしてきた安部晋三官
房副長官や中山参与などではなしに蓮池透さん以外にありはしまい。
帰国者の五人は年の暮れ近く、それまで襟にとめていた金日成バッジを外すように
なった。それは彼等が拉致の末一方的に強いられてきた政治的価値観の放棄を意味し
ようが、彼等にとってそれがどのように重く危うい決心であることを私たちはとても
斟酌しきれまい。それは五人の同胞にとってまさに人生を懸けた選択に違いない。五
人は彼の地に残してきた子供や夫の安否を狂おしく案じながらも、彼等の人生を狂わ
せこんな無慈悲な選択を強いたものを、自由な人間の意思としてはっきり拒否したの
だ。
そしてそのためにあの蓮池兄弟の間にどのような会話がある時は激しく、ある時は
涙ながらに持たれたのか想像に難くない。それは我々余人の立ち入ることの出来ぬ、
それぞれの人生を懸けた、分身の子供たちの命をも賭けた、彼等に対する今までの母
国の無為に近い態度からすれば、もどかしく危うく重く濃い疑念にも駆られながらの
選択であったに違いない。
そしてあの五人にその胸からあのおぞましいバッジを外さしめたものは、血の濃く
繋がった肉親としての親兄弟たちの、自らの属する国家を信じなおそうという説得だ
ったに違いない。肉親以外の誰が彼等を、国家の沽券に運命を託す決心に導くことが
出来たろうか。そして、家族を代表した形で被害者たちの心境を代弁する兄蓮池透さ
んの言葉の裏に、今このぎりぎりの段になって、国家を信じなおし、過酷な悲運を強
いられた被害者たちの運命に共に怒り悲しんでいる私たち同胞の声を信じていく以外
にないではないかという、期待などという言葉では表しきれぬ、ひたすらな願いがこ
められているのを感じぬ者はいまい。
日本という国家、日本人という民族を代表する政府はその願いをかなえるべく十全
の努力を果たさなくてはならぬ。何よりもまず、彼の地に残されている子供たちを完
全完璧に取り戻す術を尽くさなくては。そしてそのために、我々国民の全てはいかな
る声を揃え政府をして国家の名誉のためにも、その責任の履行を実現させるべきかを
今年の最大の命題として据えてかからなくてはならぬ。それに応えられぬ政府ならば、
一体国民にこれから先何を求められるというのだろうか。
参考:2003/01/07(火)19時17分24秒