逆に「彼女」も「友達」も出来なくても構わないと考える、 「無頼派」 と言う階層をここに宣言してみるのはどうだろうか。 この階層に所属する場合、ここで入団式(自分一人で宣言)を行い、 あとは各個人の日常に散っていくという、 ある意味「心の仲間」意識みたいなモノを育もうと言う試みなわけだが。 彼女が居なくても人間は生きていける。 友達が居なくても、少し淋しいだけで生活には甚大な被害が及ぶことはない。 一人であることに自信がないのは、意志が定まってはいないから。 孤独は永遠に消えることのない性。 「無頼派」はそういった心の弱さを取り除くための決断の場所だ。 つまり試練・修行の場と言うことになる。 卑屈になるのではなく、孤独をとことん愛そうではないかと言う試み。 気付けば誰かが自分を求めているような状況に達したとしたら、 「無頼派」と言う場の使命は果たせられたことになるだろう。 その時まで、我々は他人に求められることを求めないでいよう。 崇高な人格に辿り着く、その時まで。