2003/07/11 (金) 08:11:24 ◆ ▼ ◇ [mirai] 「政治の複合性」
社会現象も人間の病気とまったく同じで、いかなる事態も単一の原因で表出すると
いうことなどありはしない。すべての物事は複合的な要因で出来上がっているのであ
って、ことの正確な分析にせよ適格な解決にせよ、一つの視点だけで眺めて可能な訳
がない。疫病への対処に臨床と疫学の見地が合わせて必要なのと同じことである。
われわれ人間が形作っている社会の出来事はすべて複合的なものであって、それが
さらに重なり合って重層を成している。そうした構造は時を経て出来事が過去のもの
となればなるほど、時間のフィルターにすかされて明瞭になってくる。「歴史」とい
う事実の滞積が、現在に生きる者たちにとって持つ偉大な効用はそこにある。
ヤスパースは歴史とは重層的なものだといったが、政治が扱っているいかなる現実
も同じで、今日の現実も明日になれば昨日という過去に属してしまうのだから、現実
の政治は実は重層を成す歴史そのものを扱っているといえるかもしれない。ならば政
治に携わる者たちにとって、歴史ほど強い暗示、啓示に満ちた教科書は他にあり得ま
いに。
俗に、政治の世界では裏の裏は決して表などではなく、さらにその裏も在り、裏の
裏のさらに裏、またはその裏なるものになれば当初の表とは本質的に乖離してしまう
こともざらにあるといわれている。つまり、政治が直截に扱わなくてはならぬすべて
の物事の、実は厄介な重層性をいっているのだ。
そしてその複合的、重層的な現実に対処するべき政治の効用を著しく疎外している
のが、この国の官僚制度にほかならない。太政官制度の創設以来、本質的に不変でき
たこの国の中央集権官僚統制の政治形態は、今では官僚の独善的なうぬぼれのままに、
彼らがいう、くるくる変わる閣僚や政府の頼りなさに比べてはるかに優位な継続性、
安定性の故に、身分としても不安定な政治家たちをしのいで、日本という国家社会で
の存在感を自ら押し出し、本来ならば彼らを駆使すべき政治家たちを逆に使役するこ
とで、この国の政治を一元的で幅の狭い融通のきかぬものに仕立ててしまっている。
そしてそれは各省の利益の優先どころか、同じ省の中でさらに分化された局の利益
にかまけた行政までを導き出し、国民に多大な損失を一方的にかぶせる体たらくとな
っている。
前に述べたようにいかなるものごとも複合的、さらに重層的な構造をかかえている
のだから、行政の主体者たる役所がそれにかかわるに、一省の利益を踏まえるだけで
対処できる訳がない。いかなる行政マターも、眺めただけでも幾つかの省にかかわっ
ていて、それを一つの省が他に優先して扱いきれるものでは決してない。おおよそい
かなる物事も幾つかの省にかかわっているのであって、それらの省をまたぎ束ねてこ
とをまとめるのが政治家の責任であるはずなのに、多くの政治家が各省の利益の代弁
者たる族議員に堕すことでそれを行わずにいる。
つまり何らかの省の利益に精通することが、役人たちからの評価に耐えられる政治
家としての資格になるという倒錯こそが、日本の政治のダイナミズムの枯渇の要因に
他ならない。
森総理時代に次の選挙に備えて大都会の環境悪化の象徴ともいえる花粉症対策につ
いて建言したことがあるが、しばらくして総理から関係する運輸、通産、環境の各省
のいい分がばらばらでまとまりがつかないと慨嘆された。しかしそう嘆く当人は何だ
ろうとこの国の最高権力者の総理大臣なのだからこれは不可解な話で、ならば一体他
の誰が、省益の相反する問題を国民の利益主体に束ねて解決することができるという
のか。
小泉総理は構造改革で省益の対立する問題は自分が裁断するといい切っているが、
それは極めて妥当、当然の姿勢であり、いい切った限り判断を先送りしたりせずに果
敢に行うことで初めて、族議員の跋扈する自民党を本質的に解体再生させることがで
きるに違いない。
先般羽田の沖合再展開に関しての関係四都県と国交省の公式会議が初めて持たれた
おり、その席で私は加えて羽田の拡大工事は当然国際化に繋がり、羽田からはみだす
国内線の処置に横田基地の共同使用が必然となる、この問題を決して切り離して考え
るべきではないと念を押し、ひいては横田基地の共同使用の問題はあくまで航空行政
を専門分野とする国交省のイニシャテイブで扱われるべきであって、決して外務省マ
ターではないのだ。故にも、今後ことあるごとに次官会議や局長会議の折節に国交省
が先頭きって発言し、国交省が外務省を使って事を進めるつもりでやってほしいと要
請した。出席していた国交省の幹部たちはおおいにうなずき、後日他の用件で会った
中の一人は、ああいわれて眼から鱗が落ちた思いでしたともいっていた。
しかしそれはいささか大げさ、というより彼らの錯誤を露呈させた言葉で、世間で
は当たり前のことが官僚の世界では一向に行われていないという証左でしかない。彼
らが自らそうした複合的な努力をしないなら、政治家こそがそれを督励しなくてはな
らぬのに、多くの議員は逆にそうした排他的一元的な官僚たちの走狗に堕して顧みる
ところがない。政治案件を複合的にとらえようとしない政治家たちの怠慢は、結果と
して官僚の備えた専門性をむしろ逆に阻害し行政の効率を低下させてしまっている。
物事の複合性を理解できずにいる人間のことをこそ、幼稚というのだ。