2003/07/25 (金) 12:19:52 ◆ ▼ ◇ [mirai] 高度成長期の日本ではモーレツ社員が昼夜を分かたず働き、その内の何割かは
「過労死」を遂げた。こうした企業戦士たちのお陰で、日本は世界に類を見ない高
度な工業製品を輸出できるようになった。敗戦国日本がアメリカに次ぐGNPを誇
れるのはそのためであるといってもよい。
日本の「カイシャ人間」は、まさにオプティマムな工業社会の構成員であった。
しかし、生産の場が日本を離れ、先進国がデジタル情報化の時代、脱工業化の時
代に突入したとき、この種のモーレツ人間は不要になりつつある。部長、次長、課
長と呼ばれる人々は、毎日朝から深夜まで自分がしている仕事は本当に必要なの
か、考えてみたことがあるだろうか。残業して会議の資料をつくる社員は、果たし
てそのような会議が本当に必要なのか、よくよく分析してみるがいい。
ビル・ゲイツのようにディスプレー画面上で仕事の進捗ぶりを逐一モニターして
いるCEOにとって、単にコンセンサスをつくるための会議など不要である。部長
も課長も不要なのだ。
新しい建設的な提案やアイデアが浮かんだら、イントラネットに打ち込めばい
い。それを見た他の社員もコメントを打ち込み、どんどん構想を膨らませていけば
いい。それをウォッチしている経営者は、ある時期に「決断」を下せばいいのだ。
稟議も会議もまったく必要ない。社員は社屋にいる必要さえもない。2千マイル離
れた山中にいたっていい。頭脳がフル回転していればいいのだ。
クラリカル・ジョブは21世紀にはコンピューターの仕事になっていて、それを人
間にやらせているような遅れた会社は早晩倒産する。