グラフィッカー
俺がゲームメーカーに入社したのは昭和63年。
まだ、ファミコン全盛の時代だった。
翌年入社した後輩にSというグラフィッカーがいた。
ファミコンの限られたスペックで絵を描くというのは職人技が必要となる。
彼はその職人技を短い期間で身に付け、めきめきと頭角を表し始めていた。
そして、ついに待望のスーパーファミコンが発売された。
色数が増えBGを複数持ち、拡大縮小回転機能を持つ当時としてはすばらしいマシ
ンの登場だった。
俺たち開発者はその可能性に目を輝かせた。
ある日突然Sが退社した。
出入りが激しい業界で珍しくはなかったのだが、後日後輩に退社の理由を聞いて俺
は驚いた。
彼は色盲だったのだ。
彼はファミコンの可能表示色52色をすべてナンバーで覚え、その感覚だけで絵を描
いていたのだ。
さすがにスーファミの最大32、768色は覚えることができず、やむなく退社したそう
だ。
色盲のグラフィッカー。
ある意味、彼は最高の職人技を身に付けていたのかもしれない。