2001/04/19 (木) 01:41:11        [mirai]
面目な話、大学をやめてしまおうかと思う。
我ながら「またぞろ逃げるのか」という気はするが、
その一方で、もうそろそろ限界かな、という気もするのだ。
去年留年を選択した頃から、意識の片隅にはあったのだが、
ここ最近、私の中で「大学中退」は現実味を帯びつつある。
「なんとか卒論を書いて卒業だけは」という意見もあるが、
それは、もはや現在の私には不可能としか思えない。
なんとか卒業へ向けての努力をしてみたつもりではある。
再履修は真面目に授業に出ているし、就職活動もしているし、
昨年は出さなかった卒論構想レポートも出した。
だが、実は違うのだ。
再履修に真面目に出るのも、就職活動にかまけるのも、
結局はただの逃避に過ぎないのだ。
もはや書く意志も能力もない卒論、そして歴史学からの。
ここ4ヶ月の間に読んだ本の中に、歴史学に関連する本が
一冊たりとも含まれていないことが、そのことを証明している。
このサイトを開設したも、実はそういう理由からかもしれない。
「就職活動からの逃避」ではなく「大学からの逃避」である可能性は、
自分でも嫌になるくらい高いのだ。いや、両方か。 

もし大学をやめるとして、やめたあとはどうするのか、
という問題については、非常に甘ったれた考えを持っている。
すなわち、手っ取り早く家業(正確には家業ではないのだが)の
製版会社に就職してしまえばよい、というわけだ。
やはり私は最低である。まったくもって最低である。
どこまでも現実と対峙することを避けようというのだ。
ただ、少しだけ言い訳をするならば、仕事自体は楽しいと思う。
DTPオペレーターという職業柄、当然Macで仕事ができるわけだし、
アルバイトの際の経験から、直接製版に関わらない部門に関しては
私が管理しなければならないことも多いように思われる。
社員の方々から「うちに来てくれ」と言われたことも、
一度や二度のことではない。私自身、帰属意識も有している。
だが、どうだろうか。やはり単なる言い訳に過ぎない気がする。
そもそも、「家業を手伝う」というその行為自体が、
「大学からの逃避」の一環に過ぎないのだ。
ふむ。やはり下らない言い訳に過ぎない。
つまり私はクズということなのだ。 

大学に入ってからは、逃避の連続だった。
1回生の時、ほとんどバイトをしなかったのも、
あれだけ興味のあったオーケストラをやめたのも、
4年で卒業することを諦めたのも。
何故か眠れないまま(そう、私はやはり小心者なのだ)、
徹夜明けで大学に行き、食堂で友人に「留年することにした」と
宣言した(そして自身の不安を圧殺した)あの日から、1年と少し。
再び私は逃避への誘惑に負けようとしている。
もちろん、まだ迷ってはいる。
だが、いつまでも迷っているわけにはいかないのも事実だ。 

ちなみに、親には何も相談していない。
結果は見えているからだ。
彼らにしてみれば、何のために大学まで行かせたのか、
というわけだ。決して安くない金もかかっている。
大学をやめるのならば、親を説得する作業もせねばならない。
さて。果たして私にそんなことが可能だろうか。
大学の卒論程度のものすら書けない、この私に。