> 2003/12/08 (月) 23:01:34 ◆ ▼ ◇ [mirai]> > うむ、つかその当時、日本は過度の軍拡で財政が逼迫してた。
> > 結局開戦へと進んだのち、国力において差があるアメリカに勝つにはどうすれば
> > 良いかと考え真珠湾攻撃を立案、指揮した山本五十六は、海軍大臣に「六ヶ月は
> > 存分に暴れ周ってみせるがその後はわからない。」と実質開戦前に戦争の行方を
> > 見通していたらしい。結局陸軍はその後泥沼の中国戦、北進対策、南方進軍と三
> > つの作戦を抱え込み、海軍は対米国戦で手一杯になったと言う感じらしい。
> 日露戦争のときみたいになんとかうまいこと講和に持ち込もうって腹はなかったのか?(;´Д`)
それは山本五十六も狙っていた事だがしかし宣戦布告の通達が遅れた事により
逆にアメリカの火をつけてしまった。
また、真珠湾攻撃に際して真珠湾の石油備蓄施設(一年分)を攻撃しないままで
アメリカの復帰を遅らせる事が出来なかった事も日露戦争の時のような外交的
解決を見出す事が出来なかった要因とも言われている。
ただ日露戦争のような講和は難しい、当時仲介に入ったのはアメリカで、講和
仲介に入るために事前にアメリカから艦艇の購入やら外交努力がなされてたか
ら出来たのであって第二次世界大戦ではその実現は難しいと言われている。
ただ可能性としては日本に対して行われた排水量制限に同情的なイギリスが、
との話も聞くがあくまでもこうした話はifであり参考にはならない。
参考:2003/12/08(月)22時53分03秒