> 友達がいなくて引き篭もり気味な自分を正当化してみよ。(98年 慶應) 友人を持てば何とかなるという社交性のみを重視する表層的なコミュニケーションについての社会的通念が、コミュニケーションの本質的問題あるいは他者 性について思考する機会を奪っている。その点において私が必要としているの はあくまで言語を媒介として他者と交流することの困難さをその近き遠さにお いて思考するという経験であり、そのためには人間は自らの現存在性を考察す るがために、いわゆるコミュニケーション的事態からは目を背け、自我が仮構 していることの驚異に耳を傾ける必要があるのである。 参考:2004/03/08(月)03時28分10秒