2004/05/25 (火) 23:00:07        [mirai]
2004年5月23日
天職と『エンタの神様』
先日、朝日新聞に天職に関するコラムみたいな記事があった。
「本当に自分のやりたいものがみつからない」
「やりたいものをみつけるまでフリーターを続ける」
等の現代若年層が持っている就業観から天職とは何かを探るような記事だったと思う。
はたして天職とはなんぞや?
好きな事をやって生活していける職業か?
金曜の夜に『エンタの神様』という番組がある。デビューしたての若手芸人が芸を披露するのだが、彼等自身にとってこれが天職なのだろうか?
たしかに、いやいやながら強制的に芸をやらされている者は居まい。
少なくとも自らの意思でこの世界を目指している者が殆どだろう。
番組を通じて自分の才能を世に問うているのだ。
それが生涯通じた職になるならば、おそらく彼等にとっては、これこそ天職であろう。
だが、それには類稀な才能と行動力、タイミング、強運を合わせ持たねばなるまい。
そんな人間は1万人に1人もいない。
『エンタの神様』出演者の大半は10年後、おそらくこの世界に残ってはいないだろう。
それでも全国ネットのTV番組に出たと言うだけでも、この世界を目指す者からすれば上出来なのだ。
テレビはおろかライブすら開催出来ぬまま消えていく芸人志望者は星の数程居よう。
時々、画面に映る男性局アナの司会者は心の中でこう呟いている筈だ。
「この人生の敗北者共。そんな陳腐な芸で生きていけると思うのか?君らみんな40才前後で野垂死だ。
その点、俺は一流基幹局の正社員局アナ。将来を保証された社会人さ。
いくら下らない事やっても、会社が俺を保障してくれる。ボーナスもあれば老後の保障もある。
愛すべき妻子に囲まれ、高級マンションに住めるんだ。君達みたいなクズとは違う。
嗚呼本当に君達みたいなクズでなくてよかった」とね。
学歴社会を勝ち抜き、一流企業就職というステイタスを獲得した者からすれば芸人など「人間のクズ」にしか見えまい。
一方、芸や類稀な技を生かしてその道を極める者は、元々生きているステージが違う。それはもう生まれながらの血統に由来する先天的なものかもしれぬ。
「自分の好きなものがみつかるまでフリーター」と考える時点で、その人は天職から見放されているのだ。
一生ダメを背負って徘徊するしかない。
しかし、今の時代、極端な事を言うと無職でも生きて行けなくはない。この国には強制労働も兵役もない。
若者の無職が珍しい事ではなくなって久しい今日、中途半端な就労はむしろ忌むべき事だ。だから実は「死ぬまで無職かフリーター」で構わない。
この『エンタの神様』で大成しなかった芸人志望者たちも路頭に迷う訳ではないのだ。
彼等にとって永遠のぬるま湯人生こそが「天職」。
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お昼頃、安アパートの自室でもそもそ起きだしたその男は『笑っていいとも』をボーと観ながらこう叫ぶのだ。
「ふん!『笑っていいとも』ごときに出演することがメジャー芸人と思うな!
俺は『エンタの神様』すら出られなかったが、その代わり宇宙人に改造されて電波覚醒芸人として日夜、
世界の要人にスーパー電波芸を「俺世界357」で披露中さ。
さっきも俺のスーパー電波芸に感動したアラブの石油王が俺のスイス銀行秘密口座に100兆円振り込んだって連絡があったぜ!ちくしょー!
その代わり俺はゴルゴ13に狙われてるからこの3ヶ月部屋から出られねエー!
あーまた神からの電波が俺を操ってる!ちくしょー」
如何であろう。
こちらの方が中途半端な可も不可もない芸人よりよっぽど幸せだ。
何もかも捨て去って引き蘢っていた方が天職を目指すより幸せだって事もあるのだ。
人生いろいろ。