>  2004/05/26 (水) 14:34:34        [mirai]
> > 二十四の瞳が映画化されたとき、ある文部大臣はそれを見て泣いた結果、
> > 人にもすすめたそうだよ。苦しむこと泣くことは実生活ではごめんだけど
> > エロゲや小説や映画では何故泣けば喜ばれるのか?(;´Д`)
> > これは「生」を強く意識するという問題なんだよ
> > 一つの生命がある、クラナドで言えば渚、汐がこれだ
> > 他人の愛を求めてその愛情を得られない。そん時、生命はあふれ出ようとして
> > 出口をふさがれ、拒まれる。抑圧されたとき、生命は圧力が高まり、強烈に
> > 自己の存在を意識させられる。渚が死ぬ。汐が死ぬ。死んだ人を求めて生命は
> > 激しく欲求し、しかもその出口が見つからない。
> > その時、生命の圧力が高まる。そういう生命の姿を認識させる力の強いのが
> > クラナドなんだよ(;´Д`)生命の意識が強められることで見る人を動かす。
> > 見る人は普段気づかないところの濃縮された強くはばたく生命の実存を感じた
> > 時に、自分の生きていることを味わい、涙を流し、その芸術に感動するんだよ。
> > もしクラナドで感動しないとしたらその人は生に関してなんら感傷を持っていない
> > ということだよ(;´Д`)決して青春物語の事象に感動しているわけじゃないよ
> 家族愛なんて信じてない死にたがりの漏れが感動しなかったのはそういうわけか

俺はそのエロゲやったことがないけど両親家族が嫌いで早々に1人立ちしたから
多分ハマらないんだろうなあ

参考:2004/05/26(水)14時30分41秒