2004/06/06 (日) 00:02:14        [mirai]
 いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の公達たすけ船にのらんと、
汀の方へぞおち給らん。あはれ、よからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へ
あゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄の匂の鎧きて、くは
がたうたる甲の緒しめ、こがねづくりの太刀をはききりふの矢おひ、しげ籐の
弓もて連銭葦毛なる馬に金覆輪の鞍をいてのたる武者一騎、沖なる船にめをか
けて、海へざっとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、
 熊谷、
「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふ
ものかな。返させたまへ。」
と扇を上げて招きければ、招かれてとつて返す。みぎはに打ち上がらんとする
ところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、とつて押さへて首をかかん
と、かぶとを押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧して
かねぐろなり。わが子の小次郎がよはひほどにて、容顔まことに美麗なりけれ
ば、いづくに刀を立つべしともおぼえず。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名のらせたまへ。助けまゐらせ
ん。」と申せば、
「なんぢはたそ。」
と問ひたまふ。
「ものその者で候はねども、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実。」
と名のり申す。
「さては、なんぢにあふては名のるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵ぞ。名
のらずとも、首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ。」
とぞのたまひける。
 熊谷、
「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つ
べきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることよもあ
らじ。小次郎が薄手負ひたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の
父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはんずらん。あはれ、助けたて
まつらばや。」
と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。
 熊谷涙をおさへて申しけるは、
「助けまゐらせんとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よも逃れ
させたまはじ。人手にかけまゐらせんより、同じくは、直実が手にかけまゐら
せて、のちの御孝養をこそつかまつり候はめ。」
と申しければ、
「ただ、とくとく首を取れ。」
とぞのたまひける。
 熊谷あまりにいとほしくて、いづくに刀を立つべしともおぼえず、目もくれ
心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならね
ば、泣く泣く首をぞかいてんげる。
「あはれ、弓矢取る身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれず
は、何とてかかるうき目をば見るべき。情けなうも討ちたてまつるものか
な。」
とかきくどき、そでを顔に押し当てて、さめざめとぞ泣きゐたる。

 やくうあて、さてもあるべきならねば、よろい直垂をとって、頸をつつまん
としけるに、錦の袋にいれたる笛をぞ腰にさされたる。
「あないとおし、この暁城のうちにて管弦し給ひつるは、この人々にておはし
けり。当時味方に東国の勢なん万騎かあるらめども、いくさの陣へ笛をもつ人
はよもあらじ。上ろうは猶もやさしかりけり」
とて、九郎御曹司の見参に入りたりければ、是を見る人は涙をながさずといふ
ことなし。後にきけば、修理大夫経盛の子息に大夫敦盛とて、生年十七にぞな
られける。それよりしてこそ熊谷が発心のおもひはすすみけれ。件の笛はおほ
ぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院より給はられたりけるとぞ聞えし。経盛相伝せら
れたりしを、敦盛器量たるによって、もたれたりけるとかや。名をばさ枝とぞ
申ける