投稿者:べたにゃ 2004/06/07 (月) 20:04:02 ◆ ▼ ◇ [mirai] 小学六年生がカッターにおいて殺害された事件があったが、何故あれほどまでに周
囲が反応したのか。それは少なくとも小学六年生が男根を持てる、ということに衝撃
を持ったからだ。カッターは男根の象徴である。ドゥルーズ=ガタリは『アンチオイ
ディプス』において、娘―母親のゲームは男根の奪い合いが行われると示唆したが、
さて、男根を所持した娘及び母親は何を行うか。それは片方の殺害である。というの
も、男根を所持した主体は既に奪われる者として存在するからだ。奪われる者はその
立場を守る為にはその競争者を殺害しなくてはならない。インターネットのホームペ
ージ上でチャットが行われたのがきっかけとなっているのは偶然ではない。それはや
はり奪われる者―奪う者の循環ゲームなのである。そして、ジジェクがやはり指摘す
るようにオタク達は「少女には男根が無い」というが、それでもなお「だがしかし、
(男根が存在する)」という、ヘンリーダーガー式の欲望を持つ。それが明確に現れ
るのはふたなりというエロ漫画のジャンルである。そして、オタク達は誰かが「少女
には男根が存在しない」と提出することを恐れる。だから、彼らは童貞―非モテとい
うことに対して価値を持ち合わせる。何故なら、彼らは「少女には男根が存在する」
ということを暗黙の了解として共同幻想的に所持するからだ。そこで、エロ漫画にお
いてクリトリス及び乳首が勃起すること。そしてその勃起が少なくとも快楽を示して
いることを自らにひきつけて考える。それは男性が男根の大きさを力の誇示として利
用すると共に、また女性も胸の大きさを力の誇示として利用している、よって胸は男
根なのである、という推論がなされるからだ。また、ドゥルーズ=ガタリ的語彙を使
うならば、インターネットという器官無き身体は我という欲望機械に連結される。つ
まり、性交の隠喩だ。では、その性交が完成される場は?それは相手が受け入れる、
拒絶するということは関係が無い。というのも、それは口実であるからだ。性交が完
成する場所は既に男根を女性器の挿入という行為において完成させる。そしてインタ
ーネットの住民はこの完成を望む。のだが、それは永遠に隔たりを持つ。それはイン
ターネット上において、性は男性化されているのだ。だから、オタク達は出会い系の
向こう側に男性、つまりネカマを見出す。つまり、インターネット上には男根を所持
しない人間はいないのだ、ということだ。そして、今回の事件はそれを明示し、しか
も男根を挿入するということを可能にした、ということによってオタク達に受け入れ
られる。少女は男根を持っていた。そして、相手とセックスした。それだけの話なの
だ。そして、こんな話をする俺はいまだにセックスをしたことがない。相手募集中。