すこしまじめに考えてみるとだな、もしもロサフェティダがいなかったとしよう、 そうすると百合女しかいないということになるな。 するとだ、舞台がなんとなくB級ポルノの女囚刑務所ちっくになってしまうのだな。 つまり、女しかいないからあまりその気なくとも同性どうし付き合ってるにすぎない、 という感じになってしまう。これはいまいち萌えんのだ。 環境に強制されることなく、薔薇さまの性別を超えた魅力に惹かれている、 そういう状態を演出するためにも、ロサフェティダの存在は地味に役立っていると思うのだ。