敏達天皇14年2月(585年)、馬子は病になり、卜者に占わせたところ「父の稲目のときに仏 像が破棄された祟りである」と言われた。馬子は敏達天皇に奏上して仏法を祀る許可を得た。 ところがこの頃、疫病がはやり多くの死者を出した。3月、排仏派の物部守屋と中臣勝海が 「蕃神を信奉したために疫病が起きた」と奏上し、敏達天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋 は寺に向かい、仏殿を破壊し、仏像を海に投げ込ませた。守屋は馬子ら仏教信者を罵倒し、三 人の尼僧を差し出すよう命じた。馬子は尼僧を差し出し、守屋は全裸にして縛り上げ、尻を鞭 打った。しかし、疫病は治まらず敏達天皇も守屋も病気になった。人々は「仏像を焼いた罪で ある」と言った。 ラノベみたいな展開だ(;´Д`)