冷戦の激化とソ連による奇襲核攻撃を恐れたアメリカは、複数のB-52を常に滞空させることにより敵の核攻撃による全滅を防ぎ、 いつでも共産圏への報復核攻撃を可能とした「戦略パトロール」(Chrome Dome)を1962年から実施していたが、 実弾頭の核兵器搭載によるパトロールは、複数回の墜落による放射能汚染事故を起こし、1968年のチューレ空軍基地米軍機墜落事故を契機に取りやめられた。 すげえ燃料の無駄だ