> > もう本人が手を動かすのとかつらいだろ(;´Д`) > 歳だけは取るのでそこは仕方ないからな(;´Д`)何十年も最前線には居られない 天文14年(1545年)、剛忠が少弐資元を積極的に救援しなかったことを謀反による主君殺しと 見て義憤を発した少弐氏の家臣馬場頼周の策謀によって、剛忠の二人の息子と四人の孫が悉く誅殺された。 剛忠は辛うじて筑後国に逃れ、柳川城主・蒲池鑑盛の保護を受けた。剛忠は90歳を超えた高齢であることから厳しい追及を受けずに生き延びた。 天文14年(1546年)、蒲池氏の支援を受けた剛忠は老躯を押して再起のために挙兵、鍋島清房らがこれに呼応し、 馬場頼周を討って龍造寺氏を再興した。そして曾孫の胤信(のちの龍造寺隆信)を還俗させ、後事を託すと、間もなく死去した。 参考:2020/03/14(土)22時27分55秒