1979年(昭和54年)10月2日、板野学社長に同行し、ソビエト社会主義共和国連邦モスクワからロンドン経由で 新東京国際空港(現・成田国際空港。以下、成田空港)に到着したKDD社員2人の挙動を不審に思った税関職員が取り調べたところ、 ネックレスやブローチなど、数千万円相当の高級装身具約30点が、日本に持ち込まれようとしていたことが判明した。 会社は当初「個人的なうっかりミス」としていたが、その後の調べで同様の密輸が繰り返されており、 社長以下会社ぐるみの組織的犯行であったことが判明した。密輸品は取引先への贈答用などに使われ、 成田開港以降だけで20回以上、1億円以上の品物を社長室の社員が持ち込んでいたことが判明した[1]。