2017/05/02 (火) 08:08:45        [misao]
蔵六の口癖の「曲がったことは大嫌いだ」というのは彼が物事を「曲がったこと」と「真っ直ぐなこと」、正義と悪の二元的に考える人間だということを示している
この描写は、蔵六の頭の固い頑固ジジイ然とした態度やキャラクターにも符合している
ところが「私は人間でな」く、人類にとって危ない存在かもしれないという善悪つけがたい紗名の告白に対しては、逡巡無くアリスを肯定している
これは善悪という二元世界の中で生きていた蔵六という老人が初めて二元論で片付けられない命題を突きつけられた瞬間であり、
本来ならば善悪の狭間でそれでも一緒の時間を過ごした紗名を信じたい、という描写があって然るべきなのにそれが無い
要は、このシーンは蔵六が良い人であるためには幼気な紗名を肯定する存在でなければならないという思考の元書かれたものであり、
この瞬間蔵六という人間のキャラクターは一切死んでいるのである