直弼の首は前述の三上藩邸に置かれていた。所在を突き止めた井伊家の使者が返還を要請したが、 遠藤家は「幕府の検視が済まない内は渡せない」と5度までも断り、その使者を追い返した[注釈 34]。 そこで井伊家、遠藤家、幕閣が協議の上で、表向きは闘死した藩士のうち年齢と体格が直弼に似た 加田九郎太の首と偽り、内向きでは「遠藤家は負傷した直弼を井伊家に引き渡す」という体面を取ることで貰い受け[注釈 35]、 事変同日の夕方ごろ直弼の首は井伊家へ送り届けられた(遠藤胤統は現役の幕閣であり、彦根の近隣の藩主でもあることから 有名な直弼の顔を家中もよく知っており、実際には気付いていた可能性が高い)。 その後、井伊家では「主君は負傷し自宅療養中」と事実を秘した届を幕閣へ提出、 直弼の首は彦根藩邸で藩医・岡島玄建により胴体と縫い合わされた。 むかしっから日本ってなぁ事実を政治的にもみ消すのだなぁ(;´Д`)