2021/11/17 (水) 12:39:17        [misao]
ノーベル賞作家川端康成の代表作「雪国」も温泉で売春するしかないオンナを描いた作品なので『温泉むすめ(エロいやつ』と全く同じ。
現在でも当然「出張のついでにビジネスホテルにデリヘル呼んじゃう」みたいな風習は残ってる。
大半の温泉旅館も歴史的にはこの形態(商人宿と飯盛女からはじまる)だったのだが(川端康成『雪国』くらいまで
それがとくに戦後の企業文化とモータリゼーションによって集団的な文字通りの『慰安』旅行の舞台になった
(酒盛り売春コンパニオンから女体盛りお刺身を経て外国人不法就労まで。
現在日本は貧しくなったので
おっさんたちにもそんな元気はない。
こうした風習は形骸化し温泉旅館は『ファミリー層(オンナこども)めあて。
レジャー目的のツアー団体旅行を含む』『高級連れ込み旅館(個室露天風呂があったりするアレ』へ2分化した

もちろん問題になってるのは前者(1泊おひとり5万だの10万だの言ってる個室露天風呂つきラブホテルがああした集客をする必要はないので。
すなわちこれは社会的な競争「時代の流れ」に負けた人びと(弱者)の話
すなわちこれは「そもそもが社会的弱者が行ってきた」ひとによっては(わたしは個人的にはそうは全く思わないのだが)
『負の歴史』と捉えられかねない事象にどうやって向きあってったら良いのか?
たとえば「隠蔽すべきなのか?」「それとも『なかったこと』にしてしまえば済むのか」
「または『犠牲者さんたちの石碑』でも建てて(ついでにお寺さんでも建立して)化けてでないよう(神さま扱いし)祀るべきなのか」etc.
要するに「いまを否が応でも生きざるをえないわれわれに『かつてそこに確かにいた』先人たちへの敬意はあるのか?
(昔のひとだって好きでなんでもやってたわけじゃないのはわれわれと同じなので」が問われてる
ひとことで言ってしまえばこれは『歴史問題』以外のなにものでもなく、
バカフェミニストとバカサヨクがやってることはデンツー大阪西成ジェントリフィケーションや渋谷ナイキ公園開発と同じ民族浄化
なぜなら『なかったこと』にしようとしてるだけだから。「
恥を知れ」とはまさにこういうバカどもにふさわしいのだがじぶんでは良いことしてるつもりなのだからはっきり言ってキチガイ

エロスはとくに個人に不快感を必然的に与えざるをえないものだがそれゆえに決してなくすこともできず隠蔽したり
『なかったこと』にしようとするほど過剰性を増すし嫌悪感も増大しかえってきてそのひとを傷つけるので
古典的な言い方をするとエロスは「祟る」代表格なのである。そういったいみでの『キャラクター化』はわたしには
「神さま扱いし祀る」ソリューションの典型例だと思われる
もちろんこれは文学作品や表象芸術が手をかえ品をかえやってきたことなので(ノーベル賞『雪国』だって
「オンナのマンコに指つっこんだらそのニオイが何ヵ月たってもとれなくてさー」みたいな話でしかない