> 2008/06/24 (火) 13:05:02 ◆ ▼ ◇ [qwerty]> > 戦後、大門と栄町を結ぶ4キロメートルほどの街路には、夕方になると無数の屋台が現れた。
> > 一畳ほどの小さな手押し屋台、カーバイドの灯り、沸々と煮えたぎる大鍋に煮込まれていたのは
> > 「ドテ」と呼ばれたホルモンだ。名古屋らしい赤味噌を甘く味付けした味だった。甘くしたのは
> > 保存性を良くし、煮汁をムダにしないためだった。
> > 串カツも、このドテ汁につけて食べた。これが後に、味噌カツになった。煮汁で煮込んだウドンは
> > 味噌煮込みウドンになった。小さなイスが数脚、安い料金で辛い仕事を終えた男達が毎夜群がって
> > 飲み、食べた。
> > 屋台の営業主は、ほとんど戦争未亡人だった。屋台を作って彼女たちに貸していたのは稲葉地
> > 一家や住吉連合会系のヤクザやテキヤだった。
> > 毎日なにがしかの金を払って屋台を借りる。もちろん、それだけでは食えないから、本当の仕事は
> > 営業後にあった。屋台を片づけてから、客の男と寝ることで、食べていた女性が多かった。ちょっと
> > 年齢が上がりすぎたり、子供が多かったりした場合、トルコ風呂に勤めるのは難しく、こうして客を
> > 確保していたのだ。
>
> うちの祖母も昔はそんな経験あったのだろうか(;´Д`)
ああ(;´Д`)貴殿の血の1/4は進駐軍の兵隊さんだよ
参考:2008/06/24(火)13時00分21秒