2008/06/27 (金) 21:04:50 ◆ ▼ ◇ [qwerty]ある朝、いじめに耐えられなくて、泣きながら
「学校今日は行きたくない」って親に相談したら、
まだ寝ていた父親は(朝っぱらから面倒いこと言ってくんなよ~)
って感じで、鬱陶しそうな目で俺を見て終わり。
母親は泣いてくれたけど、漏れを車に乗せてそのまま校門まで突き出して
「学校に行きなさい」と言った。それで終わり。
その後も漏れが暗くしてると、両方の親とも漏れを
「家庭を暗くする変わった子。迷惑な子」みたいな目で見てたよ。
それまで「普通の家庭」で「愛されて育った子」って自分のことを
思っていたから、信じられなくてビックリした。
夏休み前に担任教師に相談の手紙出して、ずーっと休みの間中待っていたら、
8月31日に、担任から電話が掛かってきて「心配するな」と一言。
俺がいじめられてる光景を、不思議そうに眺めてながら、そのまま
注意もせずに通り過ぎる。
,
それまで親しくしてた友達も、俺が髪の毛にガムテープ貼られてるとき
いじめっ子と一緒になって、本当に楽しそうに一緒に笑ってる。
でもその当時は、他人への憎悪や怒りはまったく湧かなかった。
ただただ、今まで親しかった人達の精神構造、冷たさが理解できなくて
ひたすら他人が不思議だった。怖い、というか、悪夢かSF映画みたいに
キチガイばかりの世界にいきなり放り込まれたような感じで混乱してた。
その後、高校になって、「人を憎むことの正当性(報復)」みたいな考えを知って
電撃で打たれたみたいなショックを受けてたよ。
それまでは、自分がいじめられてたことなんて考えたくもなかったし、
「いじめ」の三文字も見たくなかったけど、自分で思い返して考えてみた。
いろいろ思い出したら、辛くて口惜しくて、始めて怒りに震えたよ。
その後は、自分の唯一のパワーの源は「憎悪」だったから
それをもとに、かなり合理的に行動できて社会復帰できるようになった。
でも、その後、友達ができても、
「こいつもあの時代、教室にいたら、俺を笑ったりしてたんだろうなあ」
と思ってしまう。
別に他人だけじゃなくて、漏れ自身も、いじめが蔓延している教室にいたら
いじめられっ子を笑っていたかもしれないし。結局ああいう場所で
毅然とした態度をとれる人間なんて、小説の中でしかいないのな、
人間は、力のある人間の言葉しか聞かないのな、ってよく分かったよ。
親も、友達も、本当に他人が困ってどうしようもなくなった時は、
誰も助けてくれない、それどころかかえって鬱陶しがるし、
結局は人間は自分一人で問題を解決するほかないんだ、
誰も頼りにならないんだ、と分かって、勉強になったよ。
高校時代からしばらくは、憎悪パワーだけが漏れの生きる支えだったよ。
憎悪パワーは、社会復帰にかなり役だったけど、その副作用でかなり性格も
歪んだと思う。大学卒業後も、しばらくは夢の中にいじめの場面が出てきたよ。
むちゃくちゃリアルで後味悪かった。