> > 俺の爺ちゃんは生粋の日本人だけど同じ手を使ったらしい > > 1945年3月に大阪市東部が爆撃され焼かれた時にバラックを立てて「占有」した > > そこは長期間貸工場になってて我が家の家計を支援してたけど > > 俺の父が死んだときに相続税の一部として物納された > > いまは今里筋線という鉄道の関連施設になってる > もったいないな(;´Д`)持ち続けておけばよかったのに 要するに当時の都市に住んでた人の多くは農村出身者で 空襲が激化すると疎開つうか田舎に帰ってしまった 元々そこに住んでいた俺の爺さんとか あるいは徴用その他で朝鮮半島や占領地から来た人々(逃げる場所の無い人々)が 結果的に焼け野原に取り残されて そして空き地の占有行為をして決まったのが 戦後の都市の都市所有権マップってことだ 参考:2008/07/28(月)22時53分38秒