>  2008/09/14 (日) 00:55:14        [qwerty]
> > 人類の歴史は野蛮を克服しより理性的な段階へと進むべきという希望にもかか
> > わらず、実際には野蛮の拡大へと転がり落ちており、科学の進歩は実際野蛮の
> > 合理化という内容を伴っていることは使い方が問題という素朴な反論を越えて
> > 存在しているというのがアドルノの見方だと思う(;´Д`)
> > で、アウシュヴィッツの問題はアドルノ流に解釈すると合理性という理性の能力そのものが辿り着いた一つの究極的現実であり、従って理性あるいは啓蒙というのはそ
> > れ自体として世界に対する野蛮を内包していると考えるべきであって、その止
> > 揚のを目指すためにも従来の全体的合理性指向ではなく、理性を理性によって
> > 理性化しつつ啓蒙するプロセスがあるべきではないかというのが主張の一つだと思う
> レトリックとしてはキャッチーだけどなんでそこから「詩を書くのは野蛮な行為」になるんだろう
> 理想国家に詩人はいらないって言った晩年のプラトンじゃあるまいし(;´Д`)

「夢とか希望なんて可愛いこと言ってんじゃねえよコンニャロー」みたいな意味だと解釈すべきだと思う(;´Д`)
「加藤容疑者の後でボーナス商戦を占うのは野蛮である」みたいな感じか

参考:2008/09/14(日)00時53分44秒